続:サイドメンとしてジャズ修行!

以前、ブログ記事として「サイドメンとしてジャズ修行」を書いたのですが、今になって過去の記憶が更に色々と蘇ってきました。「昔の記憶を思い出すのに時間がかかるなんて、歳をとったものだ」なんて、しみじみ寂しく感じつつ、続編を書こうと思います。

バンドごとに演奏の特徴がある!

以前のブログでも書いたとおり、私、鈴木学は多い時で、同時に6、7バンドに所属していました。それらのバンドでそれぞれ月に1回~3回程度の演奏機会があったので、毎月の月間予定表には、10~15か所ほど演奏のスケジュールを書き込んでいました。今現在、ステージに上がるのは月に2、3回程度なのと比べると、当時は本当に頻繁にステージに立っていました。感覚的には、2日の内に1日サックス(サクソフォン)を持って演奏場所に向かっていたような感じです。

もちろん各バンドで、演奏するレパートリーが異なるので、当時は常にとてもたくさんの楽曲を、何時でも演奏できる状態にしてあったという事になります。恐らく100曲は優に超えていたでしょう。もちろん、それだけの楽曲の全てを毎日練習したはずはなく、ステージの現場で譜面を渡された上、そのまま人前で披露し、レパートリーとして加えていった楽曲がほとんどです。

当時、音楽の内容造りについては、ほとんどステージの上、もしくは演奏の休憩時間に解決していました。実際のアンサンブルの中で、そしてステージの緊張感があった方が、音楽的なアイデアをまとめるには効率が良かったのです。そしてその分、普段の個人練習では、基礎的な練習に取り組むことができました。

音楽的アイデアが豊富に!

同時に多くのバンドに所属し、常に多数のレパートリーに取り組んでいたことで、非常に豊富な音楽的なアイデアを得ることができました。まず、取り組んでいた多数の楽曲そのものから、たくさんのアイデアを吸収できました。

そして、バンドが異なれば、楽曲の演奏をスタートする際の始め方、エンディング方法等、演奏の進め方、演奏中に重要視している音楽的ポイントが、各々に異なってきます。バンドごとに色々と演奏の進行上の特徴が異なっていたのです。多数の楽曲に取り組む中で、様々な演奏のやり方を体験できたおかげで、今では大抵の楽曲は初見で演奏できます。

そして、初めて会うミュージシャンとのセッションでも、まず困る事はありません。例えば時間をかけて、打ち合わせをしたりする必要をほとんど感じません。とりあえず楽器を手にし、演奏を始めれば、お互いの音を聴きあう事だけで音楽を創り上げることができます。言葉を交わすよりも音で会話をした方が、より確実にコミュニケーションできるのです。これは間違いなく、修業時代の経験のおかげだと思います。

自らの音楽の確立へ!

加えて、多数のバンドに参加することが、私自身の音楽を確立するための土台作りに役立ったと感じています。「確立」と書きましたが、実際はいまだ道半ばです。それでも着実に「私の音楽の確立」へと近づいている実感はあります。

例えば、どのバンドで演奏する時も、いつも同じ演奏内容になってしまったら、多数のバンドに参加している意味がなくなってしまうと考えていました。だから、バンドごとに、そのバンドのキャラクターに対応した演奏をしたいと、その上で鈴木学ならではの個性が加えたい、という姿勢で演奏に臨んでいたのです。

当時の私は、すでに指の腱鞘炎を患っていましたから、それほどハードには運指練習ができない状態でした。ですから、よりテクニカルな演奏を突き詰めるという方向性は、私にとっては選択外でした。運指技術では他の奏者に太刀打ちできない・・。ジャズサックスのプロとして生きていくためには、何らかの私ならではの「売り」が必要です。考えた結果、私は「音楽力」を突き詰める、という選択をしました。

多数のバンドに所属し、膨大な数のレパートリーの楽曲に取り組む中、常に私は、より早く深く、その楽曲の神髄を理解し、それを表現するための音色、演奏解釈を見出すこと、その上で他の奏者からの借り物ではない私自身の音楽として創造することを、ステージ上で心掛けていました。

継続は力なり!

「私自身の音楽として」という点に関しては、ジャズ奏者としてステージに上がり始めた頃から常に強く意識していました。モノマネみたいな演奏だけは絶対にしたくなかったのです。しかしながらそのせいで、まだ修業の途中、自分自身の音楽の確立途上であった私の演奏は、かなり拙いものだったでしょう。

例えば当時の演奏スタイルを、一般のリスナーに受けが良いような、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン風なフレージングを並べたようなプレイにしていたら、よりリスナーから受け入れられ、ひょっとしたらそれなりに有名な奏者になれた可能性があったことは理解しています。しかし、私にはどうしてもそれができなかった!時間がかかっても良いから、借り物ではない、真実の音を、私の音楽を追求したかったのです。

だからこそ、泥臭く修業する道を選びました。多くのバンドでステージに上がり、たくさんの楽曲を様々なスタイルで演奏をした経験、このおかげで、ようやく自分が納得できる「私の音楽」が見つかりそうな地点まで、たどり着けました

修業を始めた当時、それが50歳までの期間を要するとはさすがに想像していなかったです・・汗。しかしながら、常に「もっと美しく、もっと良い音楽を!」と、正直に自分の心に嘘が無いように願い、修業を続けた結果として要した時間ですから、これも仕方がなかったのだと思います。

最近ようやく、音楽をする事、演奏をすることが心の底から楽しく思えるようになってきました。これも修業の成果という事で、やはり「継続は力なり」は真実ですね!まだまだ続く音楽人生、頑張っていきたいと思います!皆様、こんな私ですが、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。